都筑(つづき)という地名
つくし公園がある地域は江戸時代には武蔵国都筑郡茅ヶ崎村と呼ばれていました.
都筑郡は武蔵国(むさしのくに)を構成した22の郡の一つであり,7世紀の律令制度における国郡里制の整備に伴って成立しました.その区域は現在の都筑区ばかりでなく,横浜市緑区や旭区の全域,および港北区と保土ケ谷区の一部さらには川崎市麻生区の一部までにわたっていました.都筑郡は,明治初頭の廃藩置県により神奈川県都筑郡になりましたが,その区域が横浜市と川崎市に併合されたことにより消滅します.その後,横浜市の北西部を占めていた港北と緑の2区を分割して4区に再編成することになり,その際に港北ニュータウンを中心とする新しい区が都筑区と命名されて今日に至っています.
都筑(つづき)という地名の由来については,崖の地とか,まがりくねった川の流れとか,山ひだにかこまれた場所,あるいは高地を意味する等,諸説があるようです.
茅ヶ崎(ちがさき)の名前の由来については,諸説がありますが,平らな地から突き出た場所を意味する語であったとも言われ,そうだとすれば茅ヶ崎城址がある丘をランドマークとした地名と考えられます.いずれにせよ都筑郡を構成する村の一つとして古くから知られ,古地図にも明記されています.